エトワールの木漏れ日

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ストーリー・コンサート『クララ-愛の物語-』鑑賞備忘録(渡辺大輔さん&伊波杏樹さん)

ストーリー・コンサート『クララ-愛の物語-』鑑賞備忘録(渡辺大輔さん&伊波杏樹さん)

 

演奏
ソプラノ:岡田愛さん
ヴァイオリン:枝並千花さん
チェロ:渡部玄一
ピアノ:島田彩乃さん

 

朗読
Aチーム
シューマン/ブラームス役:渡辺大輔さん
クララ役:伊波杏樹さん

7月14日(水)マチネ/ソワレ
鑑賞させていただきました。

 

 

  

 【配置と構図について】

《配置について》

舞台上
・上手側(伊波さん)と下手側(渡辺さん)それぞれ前方にマイク。奥に椅子と水の乗った小さなテーブル。演奏中は着席。朗読時にマイクの前へ。
・中央やや上手側寄りに椅子と水(ソプラノ 岡田さん)
・中央やや下手側寄り
 奥にピアノ 島田さん
 手前右にチェロ 渡部さん
 手前左にヴァイオリン 枝並さん


客席
1列目は感染対策のためなし、B列が最前列。
キャストさんの配置通り右側に伊波さんのファンの方々。左側に渡辺さんのファンの方々。
伊波さんのファンの方は男性が多いので分かりやすかったですね。これまで朗読劇も何度かありましたが、ファンクラブごとにある程度固まってバラバラに配席されることはあれど。ここまでスパンと両サイドではっきり分かれる配席も珍しく新鮮でした。
また、客席にはあらかじめチラシと共に簡易的なパンフレットが置かれており、記憶を呼び戻すのに大変助かりました。


プロジェクター
・挿絵
・年代が変わるごとにシューマン、クララ、ブラームスの年齢。場所。彼らの置かれた簡潔な状況
・ソプラノ 岡田さんの歌われるドイツ語の歌の日本語歌詞
などが映し出されていました。

 


《構図について》

公演が始まる前、私は「シューマンブラームスが下手側」「クララが上手側」という構図に少しの違和感を覚えていました。
というのも、一般的に舞台上の関係性を現す手法として「下手側に挑戦者/立場の弱い者」「上手側に挑まれる者/立場の強い者」とされており。『クララ-愛の物語-』というタイトルとはいえ、コンサートの“主体”は作曲家であるシューマンブラームスだと思っていたからです。
しかしその違和感も演奏中のそれぞれの役者さんの“在り方”で納得いたしました。

演奏中。シューマンブラームスの想いを音楽に託すような渡辺さんの落ち着いた佇まい。クララがその想いをどう受け取ったか繊細に表情で表現する伊波さんのリアクション。この二つが合わさって音楽性の深さを巧みに引き出し、物語の立体感を出していたように思います。
ストーリー・コンサートの“主体”は“音楽”だったのです。そのことに私は渡辺さんの佇まいから気づかされました。
作曲家の手から離れた音楽からはあえて気配を消し、音楽に想いを託す。受けてのクララがその想いや感動を出力することで音楽の持つ力や魅力を表現していたのだと私は感じました。

この“在り方”に演出的意図があったのか。役者さん同士のコミュニケーションのなかで生まれたものなのか。はたまた偶然なのかは分かりません。
ただ私は、渡辺大輔さんと伊波杏樹さんの“それぞれの在り方”から生まれる“音楽性と物語の深み”という“構図の妙”に「上手い!!」と膝を打ち唸らせられました。

 

 

 【キャスト&演奏者入場】

まず目に飛び込んできたのが真っ赤なドレスを身に纏った伊波さんの姿。その美しいお姿に一瞬にして視線と心を奪われました。
また、第1部ではウェーブがかった髪を下ろしており。第2部では髪を結うことで見た目でも年齢を重ねた印象を与える演出が分かりやすく良かったです。

そして渡辺大輔さんの彫刻のような美しさ。ミュージカル『ラヴズ・レイバーズ・ロスト』で何度もそのお顔は拝見していたはずなのに、デュメーンは甘いマスクと共に“溢れる茶目っ気”の印象が強かったため、改めてそのお顔立ちの良さに圧倒されました。
逆にあのビシッと決めたスーツ姿を拝見した後に、ラヴズでの可愛らしいナイトキャップ&パジャマ姿を思い出すと胸キュン度が増しますね!

 

 

 【物語と印象】

シューマン、クララ、ブラームスという音楽家のノンフィクションの人生を軸に、彼らの生み出した音楽と共に物語は紡がれます。
シューマンとクララの出会いは19歳と10歳。朗読ではシューマン20歳、クララ11歳の場面から始まります。


第1部 ロベルト
シューマン20歳、クララ11歳》
『あなたに初めてお会いして以来』
ピアノ三重奏曲第2番作品80より第2楽章』

クララはシューマンに「何か物語を聞かせて」とお願いし、シューマンは青年らしくも穏やかな声で物語を語ります。
塔の上のお姫様とライオンのお話。お姫様はライオンにお別れが来たことを告げ寂しさを伝えます。けれどそれでも自分は幸せなのだと。なぜなら素敵な王子様と結婚するから。それを聞いたライオンはお姫様を咬み殺してしまいます。ライオンの寂しい遠吠え。お姫様から流れた血はライン川セーヌ川だったかな?)を冷たくしました。おしまい。
(プロジェクターに仲睦まじいお姫様とライオンの挿絵→ライオンに噛み殺され血を流すお姫様を抱き抱える従者の挿絵)

お話を聞いたクララは「哀しいお話…。けれどロマンティック」とシューマンの生み出した物語にうっとりとした表情を浮かべます。クララは、そんな物語を考えるロベルト・シューマンのことを「どこか遠くを見るような彼の眼差しが好き」と恋心を抱いていました。

(どちらかと言えば低い声でいらっしゃる渡辺さんの「お姫様の台詞の少女のような声色」の違和感の無さに驚きました。

演奏中の伊波さんの表情からもクララの恋心がありありと感じ取れました。
また、役者であり声優である伊波さんの強い強い武器。年輪を重ねる声のお芝居の巧みさに朗読劇『シラノ 』の頃からさらに磨きがかかっていらっしゃるのを感じました。
11歳のクララは伊波さんならばもっと幼い雰囲気の声からスタートすることもできたと思うのですが、あえてクララの核ともいえる育ちの良さと自立した少女像からスタートし。そこからきっちり16歳、18歳、結婚後、晩年と刻んで年輪を表現されていたのがさすがだなと。一人の女性が年齢を重ねる演技が本当に上手い役者さんであると改めて実感しました。)

 

 

シューマン25歳、クララ16歳》
『「交響的練習曲」作品13より第8番』

シューマンは自分にとってクララは先生のお嬢さんではなく、大切な人であることを打ち明けます。クララもまた同じ思いであると。
クララの父であり、自分の恩師であるヴィークの制止も聞かずピアノの練習に打ち込み指を傷めてしまう。それでも恩師ヴィークは彼を見捨てることなく、作曲家への転向という道を開きました。
「そんな無鉄砲なところのある自分があなたを幸せにできるだろうか?」とシューマンは不安を口にします。クララは「そんなあなたの真っ直ぐなところを私は愛しているの」と受け止めます。
しかしクララは「焦るのはやめましょう」と告げます。18歳になるまで、二年間。彼らはその愛を静かに育んでいきました。

(その二年の歳月の間もシューマンはクララへの想いを込めた楽曲を生み出します。気持ちを音楽に託すような渡辺さんの落ち着いた佇まい。彼からの愛を噛みしめるような伊波さんの表情が観て取れました。)

 


シューマン27歳、クララ18歳》
クライスレリアーナ

シューマンはクララとの結婚を「大切に育ててきた娘はやれん」と恩師ヴィークから反対されるのではないかと不安を抱きます。そしてその不安は的中。二人は離れ離れにされてしまいます。
しかしその間も手紙のやり取りを交わし、二人の想いが離れることはありませんでした。

(渡辺さんの表現された厳格なヴィーク像から、シューマンにとっての恩師への深い敬愛と畏怖とがひしひしと伝わりました。

演奏中ここまでの伊波さんは朗らかさを感じる表情が多かったのですが、ここからはぐっと眉間に皺を寄せたり。胸の前でぎゅっと手を握りしめたりと、音楽の荒々しい激情の高まりに合わせた表情が印象に残っています。
また「今日の演奏で私は皇帝陛下とお話をしました。けれど私は…あなたとお話がしたい……」この台詞の涙の滲むような声は私の胸を深く突きました)

 


シューマン30歳、クララ21歳》
『ウィーンの謝肉祭の道化』

ヴィークによる結婚反対はシューマンへの誹謗中傷へとエスカレート。シューマンはクララが傷つきはしないかと案じつつも裁判を起こすことに。
クララもまた父の反対は親としての愛情ゆえと信じてきましたが、目にあまる行為にシューマンと思いを同じくします。

 


シューマン31歳、クララ22歳》
『献呈』歌曲集「ミルテの花」作品25-1
『くるみの木』歌曲集「ミルテの花」作品25-3

裁判の末、晴れて二人は結婚することに。
結婚式で花嫁が着ける花。ミルテ。
結婚前夜シューマンはクララのもとを訪れ『ミルテの花』という歌曲集を贈ります。

シューマンが帰ったあとクララが歌集を開く仕草を「台本を一度閉じ。愛おしげに眺めてから開く」という伊波さんの一連の動作から、クララがどれほどこの日を待ち望み。シューマンを愛しく想っているかが伝わりました。)

 


《結婚から13年後の9月》
ハンガリー舞曲 第5番(ピアノ三重奏曲版)』

シューマンは心身に不調をきたし始め幻聴に悩まされていました。子育てをしつつ彼を献身的に支えるクララ。
そんなシューマン夫妻のもとを一人の青年が訪れます。20歳のヨハネス・ブラームスです。
劇中深く描かれることはありませんでしたが、シューマンブラームスの音楽に感銘を受け絶賛。彼を後押しします。

(渡辺さんのシューマンの青年時代ともまた違った溌剌とした雰囲気を纏ったブラームス青年との演じ分けに目を引かれました。

ハンガリー舞曲 第5番(ピアノ三重奏曲版)』に耳を傾ける伊波さんの表情からは、若い才能溢れる青年を“見守る温かさ”を感じました。


物語とはまったく関係ないのですが。
今回多少なりとシューマンブラームスの楽曲を予習して来たつもりでした。それでも耳馴染みのあるあの曲。
「さけるチーズのCMでお馴染みのあの曲だ!!」という感じでやはり昔から知っている曲が来るとキタキタキターーー!!!とテンション上がるのは、ライブでもクラシック音楽のコンサートでも変わらないものなのだな、と。笑
この実感をしたことでクラシック音楽を身近なものに感じることができました!)

 

 

第2部 ヨハネ
エドワルド』

ライン川に投身自殺を図るなど、シューマンの精神状態は悪化。
愛する妻クララすらも遠ざけるようになり、ブラームスが二人の間に仲介役として入るのとで家族は成り立っていました。
生活費と治療費を稼ぐために演奏を続けるクララ。そんな二人を支えるためブラームスは彼らの子供の面倒を見たりと献身的に尽くします。
その一方でクララへの想いも募らせていました…。敬愛するシューマンに対する裏切りとなる想い。この想いこそがシューマンの病の原因の一端になっているのではないか…。その罪深さに彼自身心を痛め葛藤しつつも想いを捨て去ることもできません。
クララもまたブラームスの献身に「シューマン夫人ではなくクララとお呼びください」と親愛を示します。

(投身自殺を図ったシューマンに対し「なんてことをしたの!なんという恐ろしいことを…」怒りと悲しみの入り混じった声。己の無力さを痛感するクララにとってブラームスの存在がどれほど大きなものだったか。それを感じるに十分すぎるほどの切なさが込み上げました。

エドワルド』父親殺しの少年と母親。絶望に震える母の声と母親を突き放すような息子の冷えた声音。そして「私はエドワルドなのだろうか…」というブラームスの葛藤。彼の内面を具現化するかのようなワンシーンが渡辺さんの演技により頭の中にリアルに浮かびました。)

 


シューマン46歳死去。クララ37歳、ブラームス23歳》
『永遠の愛について』

シューマンとクララに永遠の別れが訪れます。
『永遠の愛について』ではソプラノ歌唱とクララの朗読とが唯一重なる場面。
「ああ、抱きしめてくださるの」
病に伏し、クララのことを遠ざけ続けたシューマンからの抱擁。場面は見えずともその情景がありありと目に浮かび涙を誘いました。

(↑語彙の皮を被っておりますが、この時の心の声をありのまま出力しますと「最高の歌と音楽の中で、推しの最高の声と演技で『ああ、抱きしめてくださるの』という最愛の人との別れを見せつけられたら泣きますやん!!!」となっておりました。)

 


シューマンの死去から30年》
『ヴァイオリンソナタ第2番イ長調 第1楽章』

ブラームスとクララは公私ともに親交を続けていました。
ブラームスの軽口と、彼の良い噂と悪い噂を嗜めるクララの口ぶりには親しみと愛情があり。30年の歳月と深まる信頼と親愛の情を感じさせます。

しかしクララの中でシューマンの存在が消えることはありませんでした。
ブラームスは彼女の思いを汲み「僕たちは…」と言いかけて「僕は十字架を背負っている」と言い直します。
30年経ってなお演奏のときは喪服を身に纏うクララを尊重し、尊敬していたのでしょう。

(この場面の渡辺さんの表現されたブラームスの葛藤とクララへの深い愛情がなんとも言えない熟成された渋さを醸し出していて「上手い…」と惚れ惚れいたしました。

『ヴァイオリンソナタ第2番イ長調 第1楽章』こちらも映画にドラマに舞台にと耳馴染みのある楽曲。どの場面でも不思議と涙を誘うのは、どこか郷愁を感じさせる曲調のためでしょうか。
どこか遠くを見る渡辺さんの眼差しからも、伊波さんの穏やかな表情からも「何かを懐かしむ感情」を受けとりました。

また個人的にこの演奏がもっともヴァイオリンとピアノとの“戯れるような対話”を感じられて心臓が高鳴り心が躍りました。物理的アイコンタクトもなのですが、音の掛け合いがまるで会話していらっしゃるようで。あれは新鮮で楽しい感覚でした!ありがとうございます。
これはストーリー・コンサートだから感じたことなのかもしれませんが、演奏者もまた演者である。そんなことを思いました。)

 


《クララ76歳死去。ブラームス62歳》
ピアノ三重奏第1番ロ長調(改訂版)第1楽章』

クララが亡くなったのは春。しかし彼女は風の香りから大切な出逢いと思い出の詰まった9月の風を思いだし神に感謝しました。そして息を引き取る前に願います。「自分が亡くなった後。どうかヨハネス(ブラームス)が苦しみから解放され穏やかに生きられますように」と。
クララの埋葬には何とか間に合ったブラームス。彼もまた翌年63歳で永眠するのです。

(『ピアノ三重奏第1番ロ長調(改訂版)第1楽章』ここの伊波さんの移り変わる表情がまた印象的で。クララという女性が生きた人生を遡り、最後は少女となって草原を駆け回るような。そんな心象を受けました。)

 


《あなたに初めてお会いして以来》
一度キャストさん、演奏者さん共に退場されたのち。ソプラノの岡田さん、ヴァイオリンの枝並さん、チェロの渡部さん、ピアノの島田さんの4名が再登壇してくださり『あなたに初めてお会いして以来』をもう一度演奏してくださいました。

三人の音楽家の物語を味わい、楽曲の背景を知ったのちに聴く演奏はまたひと味違うものとなっていました。
またプロジェクターにはピアノを弾くヨハネスとそれを聴くロベルトとクララという挿絵が映し出されており、三人の幸福な温もりすら感じられ込み上げるものがありました。

 

 

 【カーテンコール】

個人的に毎回“初日”の伊波さんのカーテンコールでの表情が好きだったりします。
お芝居中はまったく感じさせないのですが、ご本人いわく“初日”はやはりいつも緊張されるとのこと。また「朗読劇は台本が手元にあるからこその間違えられない緊張感がある」ともラジオでお話されていました。
そしてマチネのカーテンコールで最初に出てきた際、やはり緊張していらしたのか大きく息を吸って頬に空気をため、ほっとしたような表情を浮かべる姿がとても可愛らしかったのを覚えています。さらに鳴り止まない拍手にカーテンコールは幾度も続き、笑みを溢していらっしゃいました。
ソワレではスタンディングオベーションに二階席まで見渡し、笑顔あふれる晴れやかな表情が印象的でした。

 

 

 【劇場について】

今回会場となった「彩の国さいたま芸術劇場」は個人的に一度訪れてみたい劇場のひとつでした。とはいえ「劇場のためだけに新幹線に乗る」ということはなかなか難しく。
そこに来た応援している役者さんである伊波杏樹さんの出演される舞台!会場を知ったとき、とても嬉しかったことを覚えています。
伊波さんはいつもファンの方々を「色んな世界に連れて行ってあげたい」と仰ってくださいます。それは物語の世界であり、今回のようにクラシック音楽の世界という触れたことのないジャンルであったり。そして私にとっては今回「ずっと行ってみたかった場所」へと伊波さんは連れ出してくださいました。
まだまだコロナ禍により息の詰まるような出来事は度々続きますが、大好きで応援している方がひとつひとつ希望を示し前に進む気持ちを灯してくださるというのは有り難いことですね。いつも感謝しています。

そう。そして実際に訪れた音楽ホール。
ストーリー・コンサートということで、梅雨の湿度から楽器コンディションを考えるとかなり空調もきいてくるのでは…と心配したりもしていたのですが、そんな心配もいらないくらい心地よい空間でした。
音響は本当に素晴らしく。あの歌声と演奏をマイクを通さず生で素晴らしい音響で聴けたの本当に贅沢な経験でした。
さらに欲は出るものでTwitterの方でも呟いたのですが、渡辺大輔さんと伊波杏樹さんの歌の上手さを知っているからこそ「ここでいつかお二人の歌声も聴きたい!!」と願ってしまいました。
(あの劇場でデュメーンのロングトーンをもう一度聴きたい。再演しないかなぁ。あの素敵な夫婦を演じていたお二人がキャサリンとマライアが入れ替わった場面の台詞でデュメーンに「キモーーーい!」と言っていたと思うと役者さんのご縁とは面白いものですね)

 

 

 【最後に】

私はミュージカルのオーケストラボックスから聴こえる生の音圧が好きで、チューニングの音聴きたさに早めに座席に着いたりするのですが。それもこのコロナ禍で録音になったり、オーケストラの人数を減らしたりと寂しく感じておりました。私にとっては「寂しい」の一言で片付くことも、それを生業とする方々にとっては「生活がかかっている」ということを今回生の演奏を「耳」だけでなく「目」で触れることでリアルに感じました。

クラシック音楽コンサートの鑑賞はそれこそ20年ぶりだったでしょうか。さすがに10代の頃とは受け取る感覚も変化しており、わくわくした自分がいたことに驚きました。クラシック音楽は高尚でじっくり聴き入るものという先入観にいかに自分が囚われていたかに気づかされました。
私の大好きな演劇という世界の魅力をたくさんの人に伝えてくださる伊波さん。今回は私自身この歳で新たな世界の魅力に気づかせていただいたと同時に。「自分はこういう観点でわくわくできるのだな」と新たな自分を発見することもできました。

シューマンブラームス、クララの生み出した愛の音楽が、今こうして生きる現代の私たちに生の演奏と朗読という形で届いたことは。“音楽そのものが持つ魅力”と。今回のストーリー・コンサートを企画してくださった渡部玄一さんのような「残したい。届けたい」と願う人々の“意志の力”が脈々と受け継がれてきたからだと思います。その全ての人々の想いに感謝を申し上げます。
願わくば、クラシック界、演劇界、あらゆる芸術、エンターテイメントの火が未来へと灯り続けますように。