エトワールの木漏れ日

舞台、ライブ、イベントなどの備忘録

朗読劇「私の頭の中の消しゴム11th letter」(村井良大さん&伊波杏樹さん)観劇備忘録

 

 すごく、ぐちゃぐちゃなんだけど。
ぐちゃぐちゃな気持ちのまま。村井さんと伊波さんのお芝居にあてられた気持ちを残しておきたかった。

 

 

 

【劇場】

 よみうり大手町ホール
 501席。21列目まである劇場。

 

【全体の感想】

 途中入れ替わることもありましたが基本的に浩介役の村井さんが下手(しもて)の椅子、薫役の伊波さんが上手(かみて)の椅子に腰掛けての朗読。

 原作、映画やドラマのある作品の朗読劇ということで、どのように展開されるのかな?と思っていたのですが、納得の日記リーディング形式。
 浩介の業務日誌。薫の日記。
 「◯月◯日。ーーーー」
 と交互に読み上げ、時に会話のように物語が展開されていきました。

 お互いに第一印象最悪な二人が出会い、やがて惹かれ合い、結婚へ。
 薫の身に起きる身体の変化への戸惑い。頭痛。計算間違い。記憶違い。
 若年性アルツハイマー病は治ることはない。平均寿命4.5年。自分が自分でなくなる恐怖。現実逃避。すれ違い。
 浩介が薫の病いに気がつくまで半年。なぜもっと早く気がついてあげられなかったのか…後悔。本、論文、新聞を読み、知識を掻き集め病いと向き合う献身。
 僅かでも可能性があればとありとあらゆることを試し、一喜一憂する二人での闘病。現実の残酷さ。互いを想うがゆえの切なさ。病いの進行。そして……。

 日記の朗読という形式でありながら、二人の愛の遍歴が丁寧に描かれていったことに素直な驚きと感銘を受けました。

 

 


【舞台セット】

 舞台はいたってシンプル。
 舞台の中央に大きな扉。
 数段の階段。
 二脚の椅子。
 白を基調とした舞台が時に晴れやかにあたたかく。時に切なく物悲しく。二人の空間と時間を表現していました。
 また、泣かせるお話だからといって演出が過度にならず。〝ここ〟というタイミングで照明の効果を発揮しており。BGMも主張しすぎることなく、あくまで二人の発する「言葉」「音」「息遣い」を自然に引き立てていたのが好印象でした。

 

 


【浩介/村井良大さん】

 村井さんのテンポ良くメリハリの効いた言い回し。伊波さんの絶妙な間の取り方。お二人のお芝居の軽快なやり取りに前半では大笑いさせられ。そして、その愛おしいまでに幸福な時間が丁寧に紡がれたからこそ、後半。二人の会話が噛み合わなくなっていく過程が切なく。お互いの愛するがゆえの苦しさが痛いほどに胸に刺さりました。

 村井さんの職人気質のぶっきら棒な口調から滲み出る男気と優しさ。そんな彼が、薫から悪気なく純粋な気持ちで自分ではないかつての恋人の名前を呼ばれる。何度も。何度も。何度も。
「やめてくれ!」
 小さく小さく背中を丸め頭を抱える姿から伝わるやるせなさが瞼に焼き付いて離れません。伊波さんのリアルな病いの進行過程と、愛するがゆえの葛藤の深い表情が村井さんの熱演に呼応するように引き出されていたように感じました。
 夢物語でない現実がそこにはあり。だからこそ深く胸を打ち毎日を大切に生きよう。そう思わせてくださるお芝居でした。

 また、今回の作品は、親子関係であったり。夫婦関係であったり。病いであったり。多岐にわたり何かしら観る側に重なる部分がある作品だったと思います。
 私自身、重なる部分が確かにあって。それがあまりにリアルで。目の前の作品としての心の躍動と、自身の内側から抉り出されるような記憶と感情が相まってぐちゃぐちゃにさせられました。
 観客であるこちらは感動を受け取るだけで、音を立てない範囲で感情のままに涙を流せるわけですが。
 演じているお二人も途中で涙を拭う様子もありながら、決して次の演技に影響をきたさない。あの内容であれだけ熱のこもったお芝居をしながら、感情のコントロールもできるというのがやはりプロのお仕事だなと感服いたしました。
 浩介役が村井さんで本当によかった。そう心から感謝いたしました。

 

 


【薫/伊波杏樹さん】

 実際原作の映画は観たことはなかったのですが有名作ということで、なんとなく内容はわかっていました。絶対に泣くということも予想できました。お芝居以前にストーリーとして圧倒されてしまうことも考えました。
 でも、だからこそ。
「これは絶対に最初の感動は伊波さんのお芝居で味わいたい」と覚悟を決めたました。
 ……決めたつもりでした。しかし伊波さんは、それ以上のもので私の心を揺さぶりました。


 正直。観劇する前から想像するだけで二つの理由で私は怖かったのです。

 一つは『伊波さんのお芝居に呑まれる恐さ』。
 伊波杏樹さんという役者が若年性アルツハイマー病を患う役を演じることの破壊力。
 伊波さんの泣きの演技。
 無邪気な子供の演技。
 絶望に打ちひしがれる演技。
 見たことのある演技の引き出し。
 そしてきっとまだ見ぬ引き出し。
 その全てが伊波杏樹という体を通して、薫という女性が病いに戸惑い。絶望し。突然苛立ったり、怒りに感情を任せて叫び出したり。感情の制御ができなくなる。自分が自分でなくなる恐怖に怯え。やがて子供のような口調、仕草、歩き方になっていく。感情も薄れ、ただ呆然と空虚を見つめる。そういう人生を生きるのです。

 伊波さんのお芝居は、繊細で丁寧でありながら観る者を呑み込む力強さがあります。観ているこちらの感情のコントロールを奪ってしまうほど迫るものがあるのです。
 それは涙を流すにとどまらず、人目もはばからず嗚咽をもらし、しゃくり上げて泣いてしまうのではないかという不安。(これについては大きめのハンドタオルを二枚用意することでなんとか回避いたしましたが。)

 また感情の揺さぶりが深すぎて後を引く可能性も感じておりました。こちらに関してはもはや制御不能でした。観劇を終えホテルに戻り、買ってきたお弁当をひとくち口に含んだ瞬間、涙腺が緩みました。
「神様、助けてください…助けて」
 声が、仕草が、表情が脳裏をよぎるのです。
・自分が自分でなくなる恐怖に震える声
・無邪気な子供のように浩介の言いつけを繰り返し繰り返し繰り返し……言葉にする舌ったらずな声。
 今これを書いてる間も何度か揺り戻しが来てしまい……。完全に伊波さんのお芝居にあてられてしまいました。


 そして二つ目は、『あの「役そのものになってしまう伊波さんがどうなってしまうのか?」という怖さ』。
 伊波さんは本当に凄すぎて、いつか役に精神を食い潰されてしまうのではないかと心配になるほどです。
『アンチイズム』で自殺志願者を演じたときは、ご家族から「帰ってきたときの表情がいつもと違った」と心配されたというほどですし。伊波さんがインタビューなどで口にする「魂を削って」「命をかけて」という言葉はあの方の場合、比喩でもなんでもなくなってしまう。そういう危うさを感じてしまうのです。

 でもそれと同時に、もっと難易度の高い役に挑む伊波さんも観たいと思う私がいることも本音です。
「何も考えずに、ただ歩き回る薫は神々しいほど美しい」
 この浩介の台詞は、私が今回の朗読劇で伊波さんから受けた印象そのものでした。
 あんな輝きを浴びてしまったら、知らなかった頃に戻ることは難しい。だからといって伊波さんの身を犠牲にしてほしいわけではありません。心身ともに健康であってほしい。それが一番の願いです。

 ファンとしての矛盾。
 伊波さんはきっと、問いかけたところで大丈夫だと笑うのでしょう。
 一介のファンが何をと思われるかもしれません。けれど今回の朗読劇はそれほどまでに迫るものがありました。


 伊波杏樹という役者は、神々しいほど美しい。