エトワールの木漏れ日

舞台、ライブ、イベントなどの備忘録

朗読で描く海外名作シリーズ『シラノ』観劇備忘録


 8月9日(木)マチネ公演を観劇させていただきました。
 当日は台風の影響が心配されましたが、終始傘を開く必要もない天候だったことを天に感謝したものです。

 

 

 

【劇場について】

 会場:TOKYO FM HALL
 さて。開場時間になりますと係りの人に二階へと案内され上る階段。入口に辿り着くよりも先に劇場の空気を届けてくれたのは花々の香りでした。
 チケットをもぎりロビーに入ると左手で今回の物販であるパンフレットと台本の販売。
 セットで購入したのち、少し進むとプレゼントBOX。出演者は三人ということで少し小さめの箱だった印象。今回の朗読劇でも重要なキーアイテムとも言える〝手紙〟。ほんの少しいつもより特別な気持ちで(といってもいつもと何ら変わらないのですが)それをBOXへと託し。いざ劇場内へ。

 座席に段差はなくフラットな床に並べられただけの椅子。事前情報として頭には入れてはいましたが想像以上に角度によって役者さんが見えない。かといって観劇マナーとして頭を動かすわけにもいきません。そこで発想の転換
 見えないからこそ感じ取れるものもあるのではないか?
 なぜならこれは朗読劇なのだから。


 小道具などは一切なく。時代背景や状況を伝えるのは役者の身に纏った衣装。背後に映し出されたシンプルな映像(影絵といった方がイメージしやすいかもしれない)。照明による夕焼け。夜の帳。戦火の炎。そして台詞のみ。
 (台詞のない間はその役者さんへのライトは消えているため、よく台本が追えているなぁと感心しました。)


 立ち位置(実際は基本的に椅子に座っている)は舞台に向かって左から伊波さん、武内さん、村田さん。
 伊波さんだけがさらに数段の段差のある舞台の上に椅子があったため若干見やすかった気がします。
 また、この段差が二人の男が恋い焦がれるロクサーヌという三人の関係性を象徴しているかのようで印象深かったです。


 物語は鐘の音から開幕。
 下手通路から登場した武内さんが物語の原作「シラノ・ド・ベルジュラック」について、シラノが実在の人物であること。世界三大バルコニーシーンの一つであることなどを語り『シラノ』の世界へといざないます。

 


【感想:登場人物/キャストさん】


シラノ/武内駿輔さん

 ツイッターにもお写真が上がっておりましたが、ディズニーの「眠れる森の美女」のフィリップ王子のような真っ白なお衣装がとてもお似合いでした。
 お顔立ちが端正で二枚目な武内さんが大きな鼻にコンプレックスを持つシラノを演じている。そこに朗読劇ならではの面白さを感じました。お声も重厚で漢気溢れるシラノ像が描きだされていました。


クリスチャン/村田太志さん

 爽やかな声と相まって本当に好青年。なのにちょっぴりストレートすぎるクリスチャン。しかし美しく装飾された言葉よりも、クリスチャンのように分かりやすくストレートな言葉の方が好き!という方もいたのではないでしょうか? そんな風に愛しく思えてしまう愛らしいクリスチャンでした。

 前半での「鼻」に掛けたシラノとのやり取りがどんどん軽快になっていくのがコミカルで面白かったです。
 そして後半。詩心の足らない自分の代わりにシラノがしたため続けた手紙のおかげでロクサーヌと結婚したクリスチャン。
 しかしやがてロクサーヌの向けられた愛は自分の美しい姿、形よりも。シラノのしたためた手紙=心に向けられていることを悟ります。
 愛するロクサーヌが心からの愛の言葉を重ねれば重ねるほどに、クリスチャンは言葉の刃で深く深く傷ついていくのです。ロクサーヌの言葉が純粋であるがゆえにそれが切なく悲しい。
 私はこの場面がもっとも深く刺さり泣かされました。
 手にしたはずの愛が指の隙間からすり抜けていくような悲しさ。悔しさが伝わってきて。表情。声の震えが目と耳に焼き付いています。

 

ロクサーヌ/伊波杏樹さん

①衣装について
 伊波杏樹さんの登場では息を呑みました。美しい。うっとりとため息がもれるほどに美しかった。
 よく映画や昔話で、そうですね。例えばシンデレラとしましょう。シンデレラがお城の舞踏会に一歩足を踏み入れた瞬間。一瞬でざわめきが静まり。一点に視線が注がれ。王子が歩み寄る道が開かれる。そんな感覚でした。(伝われ 笑)

 今回は朗読劇ということで所作については置いておきますが、いつか演劇でこんな姿を拝見したいものです。
 (ドレスでの所作って本当に難しいんですよね。いくつものヒロインを演じてきたはずの宝塚トップ娘役さんがマリーアントワネットを演じることになった際。演出家の先生に「こらっ!下町のアントワネット!」と駄目出しをされるくらい難しいんですけどね。だからこそ見てみたい!)


②演技について
 才女でありながら恋に盲目となるロクサーヌが真実の愛とは何かに気がついていく。その過程を演じるのはとても難しかったと思います。ともすれば恋に踊らされる愚かで、二人の男を惑わせる嫌な女にもなりかねないのですから。
 しかし伊波さんは気品と知性を持ち合わせつつも、初めての恋に舞い上がり盲目になる乙女心、可憐さを見事に表現していらっしゃいました。

 もう少し具体的に申しますと、今回の伊波さんの演技で私がより深く魅了されたのが〝変化のお芝居〟です。
 クリスチャンの見た目に惹かれていたかつての己を恥じ、真実の愛に気がついたロクサーヌの台詞。
「今では、あなたご自身の魂がお姿に勝って、ただあなたの魂を愛しております!」
 その純然たる事実は夫であるクリスチャンを喜ばせると信じているのです。そこにあるのは、真実の愛に気づいた高揚と愛する人を喜ばせることのできる喜び。
 しかし目の前の彼は自分の言葉に打ちのめされたかのような顔をしている。
「どうなさったの?」
 その高揚からの戸惑いへの変化が私の胸をより一層締め付けました。


 そしてもう一つの変化が〝年齢の変化〟。
 ロクサーヌが「お兄様」と慕うシラノをたしなめるシーンが二つあります。
 一つは、ロクサーヌがクリスチャンへの恋心を相談する前。懐かしい子供の頃の話をしているとシラノの手傷に気づいたシーン。
「いいお年でまだこんな……どうなさったの?」

 二つ目は、十五年後、新聞代わりに最近の出来事をシラノのがロクサーヌに話すシーン。
「この十四年で遅れたなんて初めてよ」
 実に何気ない台詞です。けれど、年齢を重ねた落ち着いた声音。「お兄様」と慕うシラノを姉のようにたしなめる口調。十五年の歳月で変わったもの。変わらないもの。そういったシラノとの関係性を声のみの変化で想像させてくれたことに私は感動したのです。

 そして家に帰り。購入した台本を読み返したとき。そのシーンのト書きを読んでさらに身震いしました。
 〝ト 親しい者を叱る口調で、刺繍を続けながら〟
 文字で表現すれば「親しい者」のたった一文。その奥の関係性を伊波さんは声のお芝居のみで描き出していたのです。

 

 

【最後に】

 人生とは面白いもので、私は今日までの間に意図せずして『シラノ・ド・ベルジュラック』を原作とした3つ舞台に巡り会いました。

宝塚歌劇星組公演『剣と恋と虹と』
 これは私がまだ子供の頃。テレビで偶然観た作品でした。
 当時は母に連れられて劇場に足を運ぶことはあれど、今ほどの情熱を持って観劇をしていたわけではありません。もちろん子供らしい感動は得ていたのですが。
 なのでその時の私は、それが「宝塚歌劇団」であることすら知りませんでした。(成長したのちにどハマりすることになるわけですが。)
 当時の私にとっては「女性が男性を演じている舞台」程度の認識で、ある意味とても素直に受け止めていたとも言えます。


②音楽朗読劇『シラノ』
 今回の朗読劇なのですが。実は私、お恥ずかしながら上記の『剣と恋と虹と』が『シラノ・ド・ベルジュラック』という原作のある作品だったことをこの朗読劇について調べたときに初めて気がつきました。
 というのも、宝塚は女性が演じる理想の男性のため。基本的に容姿コンプレックスはNGとなっています(男役トップスターに付け鼻をさせる訳にもいきませんからね)。
 そのため『剣と恋と虹と』では〝容姿コンプレックス〟の部分を〝ヒロインの父親を殺してしまった仇〟という設定に置き換えて「思いを打ち明けられないヒーロー」となっていたのです。
 また配役の名前も
シラノ=エドモン
クリスチャン=ジェラール
ロクサーヌ=クリスティー
 と変更されていました。
 それでもあらすじを読んで思い出したあたり、私の中で深く印象付いていたのでしょうね。


日生劇場公演『シラノ・ド・ベルジュラック
 今年の5月。吉田鋼太郎さん主演で公演された舞台です。
 私はテレビで製作発表を拝見して公演自体は知っていたのですが観劇までは至らず。しかし今回の朗読劇のタイミングで偶然にもNHKで放送されることを知り拝見することができました。
 ヒロイン ロクサーヌ役は黒木瞳さん。製作発表では「ロクサーヌという役はもっと若いのですが」とはにかむ姿が印象に残っていたのですが、実際の舞台では「あのお美しさでまだ独り身とは意外だなぁ」という台詞や、シラノ役の吉田鋼太郎さんが59歳ということもあり違和感なく。文学オタク的部分を掘り下げた黒木さんならではのロクサーヌを演じていらっしゃいました。

 実は黒木さんは元宝塚歌劇団月組トップ娘役を務められた方です。個人的にまずここに縁を感じます。
 そしてなによりも伊波杏樹さんが女優さんに憧れるきっかけとなった方が2018年という同じ年に同じ役を演じていらっしゃったことにも縁を感じずにはいられませんでした。

nizista.com

 


 上記3作品との出会いは言ってしまえば偶然です。ぼんやりと生活をしていたら「テレビで見た」ただそれだけのこととして、何の感慨もなく見過ごしていたかもしれません。
 しかし「これまで経験してきたことがある日突然〝特別な意味を持つ〟」ということを今回の朗読劇は身をもって私に教えてくれました。
 〝楽しむ〟ための引き出しを増やしておくことは人生を豊かにするのだと思います。

 輝くって楽しむこと。
 そうして見出した輝きが時を経て、また違った形で輝き=光になることもあるのでしょう。
 それに気づけるか感じられるかは自分次第。そんな自分であるために。
 これからも精進してまいりたいと思います。


 最後まで読んでくださりありがとうございました。
 拙い文章ではありますが、読んでくださった方の人生にわずかでも彩りを添えることができたなら幸いです。