エトワールの木漏れ日

舞台、ライブ、イベントなどの備忘録

『私にとっての〝ショー作品〟と〝Aqoursのライブ〟』

 

 この人はこういう目線でAqoursのライブを楽しんでいるんだ、という感じで読んでいただけたら幸いです。

 

 

 

【私にとってのショー作品の楽しみ方】

 先日、舞台「黒子のバスケIGNITE-ZONEを観劇してまいりました。行くか迷っていて最終的には相田リコ役の田野アサミが出演された『Saint Snow PRESENTS LOVELIVE! SUNSHINE!! HAKODATE UNIT CARNIVAL』を観たことが背中を押す形にはなったのですが。そもそもとして私が黒ステに興味を持ったのは、振付担当が私が一番好きな振付家である川崎悦子先生だったことです。

 私が川崎悦子先生を知ったのは宝塚歌劇団のショー作品です。
 当時まだ十代だった私はいまいちショー作品の面白さを理解できませんでした。素人目から見たらもはや踊っているというだけで凄いことですし、上手い下手だってよほどの力量差でもない限り分かりませんでした。
 またミュージカルはストーリーがあるのに対し。ショー作品は歌がある場合もありますが、ダンスだけで表現されると何を伝えたいのか分からず「格好いい」「可愛い」などシンプルな感想しか抱けませんでした。
 それ以外のこと、つまり〝よく分からない部分〟は当時の私にとって「きっとこれは高尚なもので私には理解し難く縁遠いものなんだ」という印象だったのです。

 しかし、川崎悦子先生が振付を担当された『パッサージュ-硝子の空の記憶-』と『バビロン-浮遊する摩天楼-』のダンスシーンを観たときに私の中で革命が起きました。
 この二作品は同じ荻田浩一さんという方が演出を担当されているのですが、そのなかでも特に好きな場面がありました。そしてその〝好きな場面〟こそが共通して〝川崎悦子先生が振付担当の場面〟だったのです。
 そのことに気づいた瞬間、私は自分の中の新たな感性の開花に打ち震えました。
 ただ「格好いい」「可愛い」という感情しか受けなかった〝ダンスという表現技法〟に涙を流すほど感情を揺さぶる力があることを川崎悦子先生は私に教えてくださいました。

 最初のきっかけは「好き」という感覚です。「この場面が好き」というシンプルな感覚。そしてそれを生み出した方が同じ振付家であることに気づけたことが、私のなかの感性を「確かなもの」にしました。
 「曖昧な好き」から「確かな好き」へ。このことは私にとってショー作品を見る目を大きく変えました。表現しているものが何なのか「明確な答え」は分からずとも、自分のなかの「確かな好き」さえあればショーは充分楽しめるのです。もちろんダンスの知識があればより深く楽しめるのですが、きっかけとしては「好き」の一つで充分でした。

 

 

【私がもっとも愛したショー作品】

 ここからは私がもっとも愛したショー作品について少し語らせてください。
 宝塚歌劇団 星組公演『バビロン-浮遊する摩天楼-』
 この作品のなかの第3景「空中庭園

「力尽きて落ちたまだ幼い白い鳩」
「お前が殺した 翼を捥ぎ取り そしらぬ顔で見殺し見捨てた」
「柔らかな傷痕」
「誰かを思う優しさ(守って行くには) 取り戻すには あまりに遅く 僕らは汚れた」

 荻田浩一先生作詞のこの歌詞の一部を読んでどのような情景を思い浮かべるでしょうか?なかなかショッキングな言葉選びをされていますが、実際のショーで表現された世界は実に繊細で美しいものでした。


 舞台に登場したのは
・主人公の男
・黒い鳩
・白い鳩
・群舞としての灰色の鳩たち

 男が空中庭園に迷い込むと 鳩の群れの中に一羽の黒い鳩が凛と佇んでいます。そこに奈落から白い鳩がせり上がると同時に、上記の歌詞を黒い鳩が歌い始めます。

 この三者の関係性をどう捉えるかによって解釈は変わってくるでしょう。
・男の内包する二面性なのか。
・彼がかつて踏みにじったものからの糾弾、そして失われた嘆きなのか。
・白い鳩は無垢なるものの象徴。黒い鳩は汚れてしまったものの象徴。男は人間という存在そのものの象徴なのかもしれません。
 答えはもちろん人それぞれです。
 そこに込められた意味合いを紐解くのも面白いですが、当時の私は何よりもその光景の美しさに心を奪われました。

 トレンチコートの男、純白の衣装の鳩、漆黒の衣装の鳩が三位一体となって同じ動きをする一場面。そして同一性からの乖離の物悲しさ。
 舞台中央で黒い鳩と白い鳩とが足を高く上げ交錯する瞬間のコントラストの美しさ。(このシーンはやはり1階センター席から見るのがもっとも美しかった)
 そして私がもっとも心惹かれ何度も劇場へと通いたくなったワンシーン。それが白い鳩を先頭とし、縦に一列に並んだ群舞の灰色の鳩たちが、白い鳩が上手から下手へと駆け舞うと同時にぱたぱたと倒れていき鳩の軌跡を波のように表現したシーンです。このシーンが鳥肌が立つほど美しく、ここに関しては1階席よりも2階席上手寄りで見た光景がもっとも美しかったことを鮮明に記憶しています。
 (これと近しい感覚を得たのがAqoursファンミーティングツアー大阪公演で二階席から観た『Daydream Warrior』です。個人的にAqoursのライブはアイドルの枠を超えてショー作品としても面白いと思っています。)

 この繊細な世界観を生み出した荻田先生の演出。音楽担当の斉藤恒芳さんの美しい旋律。そしてその二つの魅力を十二分に引き出し表現する川崎悦子さんの振付。魂が震えるとはこのことかというほどの衝撃をまだ若かった私は受けたのです。
 若さゆえの美化された思い出かとも思ったのですが、あれから十数年の歳月を重ねてなおDVDを観ると鳥肌が立つほどの感動を味わうことができます。これが我が人生においてどれほど宝であるか。

(余談ではありますが。演出家 荻田浩一先生の作品では「鳥籠に囚われサーカス団で喉をからし歌う少女」や「扇子を畳むとナイフになる小道具」など、なんともオタク心をくすぐる設定や演出をしてくるので!おススメです…笑
 残念ながら宝塚歌劇団での演出はすでに退団されていらっしゃるのですが、演出家業は続けていらっしゃいますので。機会がありましたら是非。)

 

 と、話が逸れましたが。何が言いたいかというと。ショー作品って取っ付きにくさはあるかもしれないけれど、色々見て「自分の〝好き〟探し」をするとそれを「きっかけ=取っ掛かり」にして色んな見方、感じ方ができるようになって楽しいよ!ということです。
 これはショー作品に限ったことではありません。様々な舞台、ミュージカル。大きくいえば芸術全般に言えることだと思います。

 とはいえ、色んな舞台を観るにもお金はかかるので……。
 まずは好きな役者さんをきっかけに。次は好きな演出家さんをきっかけに。そして好きな音楽、振付……といった形で裾を広げ。総合して「自分だけの観に行きたい舞台!」という感性を磨いていくと良いかもしれません。
 あとは手っ取り早いのが、感想を語り合ったり呟いたりして「感性の近い仲間」を見つけること。「あぁ、この人がすすめる舞台なら間違いない!」という人が身近にいると効率的に「好きな作品」に出会えると思います。
 ただそうなると好みが固執してしまう可能性もあるので、常にアンテナを張って興味が湧いた舞台には気軽に飛び込むような、公平かつ身軽な感覚は持ち続けたいですね。プラスの先入観は物事をより楽しませますが、マイナスな先入観は本来あったはずの魅力を見落とさせる危険もあるので。
 またショーは、一つの作品のなかで同じキャストさんがいくつも違う役柄を表現することが多いので「魅力を発見しやすい」という意味でも お得感があります。

 

 

【ショー作品としてのAqoursのライブ】

 さて。ここまで私のショー作品の楽しみ方を語ってまいりました。続いてこれをAqoursのライブに落とし込んでみましょう。
 ひとくちにショー作品といっても多種多様です。物語のように大筋の流れがあるショーもあれば。テーマは存在せず各場面で演出家まで異なるショーもあります。


 まずは Aqours 1stライブ。こちらはMIRAI TICKETでの寸劇シーンが注目されがちではありますが、ライブ全体としてアニメ一期を振り返る構成にしたことで、1stライブ自体が一本の完成されたショー作品として成り立っていたと私は思っています。


 続く2ndライブツアーでは個々の楽曲の個性を尊重した作りで、とくに印象的だったのが『夏の終わりの雨音が』。
 センターステージとメインステージで二人の距離を離し、段差をつけたことで ぐっと物語性が増したことが私の心を捉えました。ステージ上部から千歌が果南を見守る切ない表情。果南が振り返り千歌の元に向かう背中などが強調され実によかったと記憶しています。

 当日はライブビューイングでの参加ではあったのですが、段差をつけた演出が本当に素晴らしく。当時の私はスクフェスちかなんイベントのストーリーが脳裏を掠めていました。
「星と同じようにずっと変わらない存在」と言った千歌。
「前とか後ろとか関係ない。これからも一緒に歩んで行きたい」と応えた果南。
 あの段差と距離がまさに「星」と「前後を越えていく過程」。二人の関係性を象徴して見えたのです。

 そしてBlu-rayとして映像化された今。Day1の映像をみて改めて気づいたことがあります。
 それは伊波さんが階下の諏訪さんの元へと駆け出す前。サイドの階段に移動する際、諏訪さんに“視線を固定したまま”だったことがさらに私の心を鷲掴みにしました。
 目を離すことすらできないほどの切実な思い。必死さともどかしさが伝わる表情に胸を打たれました。

 と、このように。2ndライブツアーはデュオトリオなど各楽曲でまったくテイストが異なり、ひとつひとつが濃密な世界観を作り上げていたことが印象的でした。
 果たして3rdライブではどんな演出を見せてくれるのか。キャストの個性だけでなく、ライブ全体の構造がどう設計されるのか。今からとても楽しみです。

 


【ショー作品のすすめ】

 さて。今回このような文章を書き出したのは理由があります。
 四月中旬に『GEM CLUBⅡ』という作品を観劇しました。
 こちらは一幕目は、ショーを開催するために若き才能を発掘するというストーリー。二幕目は彼らのショー。いわば劇中劇ともいえる構成になっていました。
 そしてカーテンコール後の挨拶で出演者のお一人が「ショー作品を開催することの難しさ」を語っていらっしゃいました。やはりダンスだけで食べていくには難しいですし、集客の面でも不安があるのでしょう。
 だからこそ私はショー作品の面白さを知ってほしいと思ったのです。いきなり飛び込むにはハードルが高くても。例えばアイドルのライブで「このダンスは何を表現しようとしているのかな?」という目線で見てみたり。
 ミュージカルでメインでないアンサンブルに目を向け耳を傾けてみたり。
 舞台のオープニングやカーテンコールで踊る演出がある作品で、この人こんな風に踊れるんだ!という発見をしてみたり。
 少し角度を変えて見るだけで「好き」のアンテナの感度は上がります。その先に私の愛する舞台やミュージカル、ショー作品があったのなら幸いです。

 


【最後に】

 長々と語ってまいりましたが、最後にひとつ個人的願望を。
 Aqours1stライブの『夜空はなんでも知ってるの?』を観たときからずっと思ってることがあります。それは斉藤朱夏さんにいつかダンスショーを開催してほしいという願望。
 元気印の印象をがらりと一変させたダンサーとしての顔をもっと見せてほしい。
 数々の雑誌の表紙やグラビアを務める、あの小宮有紗さんにスタイルがいいと言わしめた朱夏さんなので。あえて歌メインではなく人間の肉体で表現できる芸術性で魅せてほしい。そんな夢をラブライブ!のファンであり、観劇オタクな私は願わずにはいられません。

 みんなで叶える物語。その壮大なショーに、私はまたひとつ夢をみるのです。